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Friday, April 23, 2010

教育美術での連載 (2010-2011):子どもの視点ー世界は今どうなっているのか?

「教育美術」という月刊誌がある。何度か単発で米国の美術教育事情などの情報を書かせてもらっている。私がイリノイ大の大学院生だったころからだから、すでに10年以上のおつきあい。今回2008年度から細々とはじめた巡回展示会「僕らの声:世界はどうなっているか?(Children's Voices: What's Going on in Our World?)」のことを毎月連載で書かせてもらうことになった。前々から連載で書きたいと思っていたので、とてもありがたい。

昨年2009年度より、USSEA(United State Society for Education through Art)の児童画展示会ディレクターとしての仕事を引き受けているので、このUSSEAや InSEA (International Society for Education through Art)学会に合わせて、この展示会も巡回することになっている。その作品公募を日本でやるためにも、この連載の仕事はとてもありがたい。しかしそれ以上に、今まで集まったこどもたちの作品を毎月テーマを決めて選び出し、比較することによって、そのこどもたちの属する社会や文化の相違も分析紹介させてもらっている。千から千五百字のそれほど長くないコラムの中に、毎月いろいろ書かせてもらっている。これがやってみて、自分が想像していた以上におもしろい。

毎月の締め切りに追われながらも、今月はどの絵をそして、どのように比較分析、そして社会事情をからませながら、説明できるか、自分でも結構はまってやっている。

来年の3月までの一年間書かせてもらうことになっているので、一年通して振り返ってみると、結構おもしろいものになるのではないかと自分でも楽しみ。

Monday, April 19, 2010

BFA & MFA Show at CSU-Chico (4/13/10)

毎学期うちの芸術学部では、BFA (Bachelor of Fine Art) とMFA (Master of Fine Art)の学生達の作品ショー並びにクリティック(批評会)が外部にもオープンの形で開催される。

その時間帯は直接関係のないクラスであっても(例えば、美術教育や美術史)、通常の授業ではなく、これらのショーに参加する形で行うのが通常。

というわけで、私もツアーとしてして、学生たちにそれぞれのスタジオを回らせて、作品の特徴やショーの様子を記録提出させるようにしている。

写真がその時の様子。毎学期異なる学生が作品作りを行っているので、もちろん毎学期違うものの、指導教官の好みで作品に顕著に現れていたり、また逆に学期学期で異なる作品群、その時代時代のはやりすたりというか、傾向が全体を通して見えてくるのがおもしろい。

(写真はBFA show 展示場、Kelly King の作品。私はこの作品群のちょうど真ん中のものを購入しました。額付きで$72でした。)

Saturday, April 17, 2010

2010 米国美術教育学会報告其の三 (4/13-4/18): 2011年度開催地シアトルでの展望

実はもう既に5月、というのにタイトルだけあげて、なかなか中身を更新できないでいるこのブログを少しつづ書き始めている。

さてちょっと逆になるが(先のボルチモアでのNAEA学会の報告を書いてから、来年のことを紹介するつもりだったので、、、)、先に来年シアトルで開催予定のNAEA (National Art Education Association)学会の紹介を先に。

西高東低ならぬ西低東高なのが、米国美術教育大学の現状。どういう意味かというと、中西部から東海岸の大学が美術教育が盛んで、西海岸は少し活気がない。西海岸に博士課程を持つ大学がないこともそれを裏付けている。(実はシアトルのあるワシントン大学やご存知アイスナー博士のいたスタンフォード大学には数年前まで、博士課程が存在していたが、かれの退職と共に、美術教育学部そのものがなくなってしまった。もともとスタンフォードはアイスナーの名前で持っているようなところがあって、学生も毎年一人しかとらなかったので、とても小さな学部だったことは確かだけど、、、)

ということで、何をいいたかったかというと、NAEAの学会が毎年開催される場所は中西部や東海岸がほとんどで、西海岸にやってくるのは7~10年に一度という状況。そういうことなので、来年西海岸へ、それもシアトルでの開催は初めてなので、今から私たち西海岸組はわくわくしているというわけ。それに伴って、いろいろなワークショップやシンポジウム開催のプランが動き始めている。

2010 米国美術教育学会報告其の二 (4/13-4/18): 「米国の悲劇日本の悲劇」

すご〜い何か物議をかもしだしそうなタイトルをつけてしまったけれど、言いたかったことはひとつ。美術教育の抱える基本的な問題は国を超えていっしょだけれど(つまり日米ともに)、それに対応する方向性が全く逆のような気がつくづくする。

今回ボルチモアのNAEAに参加してそれが特に強く今回は感じた。とちらかがよいというのではなく、実は両方とも問題である。

美術教育の対象テーマが米国の場合(もちろん他諸国もそれに追随している)拡大を続け、美術教育と他の学科との境界がますます希薄になってきている。それは昨今の美術/芸術そのものの定義の変化(拡大解釈)に伴うものであり、美術を米国ではすでに「Fine Art 」から「Visual Art」と呼ぶようになって久しいところからもわかる。つまり視覚的なものなら何でもありで、そこから昨今の美術教育のメインテーマであった「Visual Culture」に行き着くわけだが、それが対象テーマの拡大のみならず、テーマ哲学そのものの拡大にまで行き着いたのが、今回2010年度のテーマ「Social Justice」。これには賛美両論あるだろうな。きっと。

さてさて日本の問題は何か?正直日本の美術教育には所属していないので、あくまでも米国の立ち位置から俯瞰してみた私の個人的感想に過ぎないのだけれど、「美術教育にしかなしとげないもの」という部分に固執しすぎているような気がする。つまり米国の美術教育を「知性の発達に関わる教育」という風においてみたら、日本の美術教育がいまだ「感性の教育」にこだわっている点である。(そうでないと言われるかもしれないが、距離をおいてみてみるとそうとしか見えない。)もちろん理想は素晴らしい。米国の知性の教育である美術教育の最終ゴールもやはり実は感性を育てる教育が理想なのである。ではなぜ、米国はそれを言わないのか、答えは簡単。その感性が高められたかどうかを計る明確な手段/方法がないからである。感性が高まったかどうかを客観的にきちんと証明できることが可能かどうか、それにつきるのである。(見ればわかるでは誰も納得できないのである。)さて、日本はこれからどこへ行こうとしているのか?

2010 米国美術教育学会報告其の一 (4/13-4/18): 2010年度のテーマ考察「Social Justice」

今回のボルチモアの学会は2年振りの発表ということで、パネルディスカッションもあわせて、4つの発表があったので、実は他の発表を聞く機会がなかった。でも4つの発表の内、パネルが2つあり、結果そのパネラーの発表を聞くことができたので、良い経験をさせてもらった。

その他、ボルチモア滞在に関して言えば、今まで以上に楽しめた。当初はワシントンDCでの開催が予定されていたが、別の大きな学会と重なり、学会会場が確保できないということで、急遽近くのボルチモアでの開催となった。(なんでも800件以上の発表&ワークショップを開催し、5千人の参加者をまかなうということになると、そう簡単に代替場所は難しいらしい。納得。)結果よかったのである。ボルチモアがこんなに素敵な都市とは知らなかった。

写真は例の「Visionary Museum」に行く途中見かけたアメリカ国旗。ちょっとちがうのがわかりますか?そう星の数が少ないのですね。南北戦争前のもの。これを見た時、アメリカ史を知らない私でも、少々感慨深いものがありました。200年には200年の歴史があるのですね。

ということで、今回のブログのタイトル「Social Justice」。今年の学会テーマが「社会的公平さ/正義」とは、どうなっているの?もともと米国はこの国旗でもわかるように、もともと人間は弱く公平さに欠く存在であり、それだからこそ皆でそれを追求する必要があるという姿勢が社会の中に満ち満ちている国。特定の学科に限らず、ほとんどの学科でこのテーマに関する授業は行われているので、特別に驚くことは何もないのだけれど、あえて「美術教育」のテーマとして特定するにはやっぱり、おやと思わずにいられない。

このテーマをどの切り口からせめていくのか?

いずれにしろますます「作品制作」より「批評」の方にシフトしているのが、米国の美術教育であることは間違いないですね。それでいいのか?アメリカ?いいのか悪いのかについて、もしくはまたこれらの方法論について、これから侃々諤々、口角泡を飛ばし、ロープをはって(笑)、討論がすすむことにこれからしばらくはなるでしょう。

Sunday, April 11, 2010

第二回日本文化紹介イベント其の二 :2nd Annual Cultural Event of "Far East Fusion" Part 2

今年第二回の寿司ディスプレイコンテスト、テーマは「チコを表現する」の優秀グルーはこれ!審査員賞(Jury Award)は左 (チコの自然をいくつものプレートを使ってのマルチなデコで他を圧倒)、みんなが選んだ {Audience Award)は右(材料にさしみなど高級なものをふんだんに使い、チコ〜をパワフルに表現)。

今年は審査員の一人にProvost(副学長)が参加してくれました(^_^)。これらのグループには副賞として日本レストラン「Raw Bar」から$100のレストランクーポンが、やったね。楽しんできてくださいね。ここは日本食をアメリカティストにそれこそフュージョンしたとてもアートな食を提供してくれるところ。私は時々ランチの時に行ってます。お勧め!(夕食に頻繁に行くには、ちょっと大学教員の懐具合ではちょっと高いのよ >_<,,,)

皆さんの期待に応えて来年も開催!!!乞うご期待!

追記:この後昨年同様。着物オークションを開催。やはり人気。でもこれは来年はたぶんなしですね。今回で手持ちの着物(里津子さんのおばさまからの寄付;貸衣装店をクローズした時の提供)がすべて売り切れ。残念ですが、、、

第二回日本文化紹介イベント其の一 :2nd Annual Cultural Event of "Far East Fusion" Part 1

昨年の経験を生かし、今年も人気の日米文化フュージョンとしての「お茶会」を開催。今年はけいさんがいないので、お点前をたててくださる人を捜すのに苦労しましたが、チコステ大の学生グループ「J-Fusion」が手をあげてくれました。感謝。

また今年は外ローズガーデンの前庭で野点(のだて)風にと予定しておりましたが、、、その日は風が〜チコ特有の春の風はアレルギーの元。ということでその日の朝、急遽室内(Humanity Center)での開催に変更。次回こそは広々として屋外でゆったりと皆さんをおもてなしできるようにしたいと思います。

(昨年同様、お菓子は慶子さんの食品工学とのコラボの抹茶ケーキ。裏でがんばってたててくれたのは、もちろん我らJapan Chico Women's Clubのめんめん、そしてお運びは恵子さんの日本語コースの学生さん。)お疲れさまでした。次回もどうぞよろしくお願いします。感謝。

Sunday, April 4, 2010

6年間の体験学習集大成:名瀬小学校の卒業式に参加して

息子の6年間の体験学習の集大成として、名瀬小学校の卒業式(平成22年3月24日)に参加させてもらった。

またこの体験を元に、奄美大島のローカル新聞「南海日日新聞」に日米の学校教育の相違のようなものを中心に記事を三回(月一)書かせてもらうことになった。

下記がまず最初の文である(校正前のオリジナル)。もともと日本語での連載に興味を持っていたので、こういう形で書かせてもらうのはとてもうれしく有り難い。「教育美術」も先月から一年間、4コマアート作品の日米比較という形で連載を書かせてもらっている。今年はそういう年になりそうで、自分でもちょっとどきどきしている。

6年間の体験学習総まとめ:名瀬小学校の卒業式に参加して思うこと

先日3月24日(水)息子の海(かい)が名瀬小学校を卒業した。(いや正式には「卒業式に参加させてもらった」ということになる。)この日多くの子ども達がそれぞれの小学校を卒業したことだろう。それを見送る親にとってもそれぞれの卒業式であり、悲喜こもごもの思い出がかけめぐる特別な日であったことと思う。私たちの場合も例外ではない。

1998年1月27日アメリカ生まれアメリカ育ちの息子の海(かい)。アメリカ人を父にそして日本人の私(旧名瀬市出身)を母に持つ日系アメリカ人の男の子、属にいうハーフである。その息子を我が母校名瀬小学校に体験入学させることになったのは6年前、2004年(平成16年)こと。毎年アメリカの学校が終了するのを待ち、初夏6月過ぎに帰郷して夏休みが始まるまでの約一月間の体験入学。当時日本語がほとんどできなかった息子にとって、日本の学校での学習は不安だらけ。しぶる息子をなだめすかし、まずは一回試してみようと入学させることにした。それが6年も続き、夏は奄美帰郷と息子のカレンダーの中にしっかり組み込まれ、毎年6月の日本帰国を楽しみにするようになるとは、当時は想像だにしなかったことである。

これは暖かく迎えてくださった名瀬小学校の先生方、並びにクラスメートの友人達、そしてそれを支えてくださった保護者の方々のご厚意のおかげであるのはもちろんのこと、奄美大島の美しい自然と環境が息子の帰国帰郷を促すモチベーションになってくれたのは言うまでもない。 うん十年前、子どもだった私に取って退屈以外の何ものでもなかった故郷奄美大島が、今時を超えてアメリカ生まれ育ちの息子にとって輝かしい日本での故郷になってくれたことが、とてもうれしくありがたい。奄美出身の多くがそうであるように、18歳高校卒業と同時に名瀬を離れた私にとって、奄美大島は長らく遠い過去として記憶にとどまるだけの故郷に過ぎなかった。それが、息子の体験入学を通して、再度故郷奄美大島の価値を再確認するきっかけになったことは、私自身にとってもとても幸せなことだった。

さて息子の体験学習を通して、日米の学校教育についても多くの相違点を発見した。今回の「卒業式」もその一つ。実はアメリカには一般的に小学校の卒業式は存在しない。その理由は義務教育の違いからきている。例えばカリフォルニア州では、幼稚園から高校までの13年間が義務教育。それも日本の「6−3−3制」のように、はっきり分かれているわけでなく、地域によって異なる。主に「7−2−4」制(幼少7年、中学2年、高校4年)と「6−3−4」制(幼少6年、中学3年、高校4年)の二種類がある。 ということで、義務教育の最後が高校であることだけが共通なので、その高校卒業の時に初めて正式に卒業式を実施というのが一般的である。

名瀬小学校の卒業式に出させていただき、 舞台の上で、日頃着慣れない制服に身を包み、ぎくしゃく歩きながら卒業証書を受け取る息子を見、これで親子三代同じ小学校を卒業したことになるなと改めて感無量。

日米それぞれの学校事情があり、それぞれの長所や問題点があるようだが、卒業式に関して言えば、子ども達の新たな旅立ちのことを思うと、このような式典は個人的には良い事のように思う。等々、今後また機会があれば日米の学校教育の違いについて紹介できればと思う。