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Monday, July 5, 2010

南海日日新聞(6月?日):父と交わした私の夢ー Community College in 奄美

以下南海日日新聞原稿の下書き。実際にアップされた原稿はこれよりかなり短くなっていますが、ここにはオリジナルを掲載します。

父と交わした私の夢:
コミュニティカレッジ in 奄美

三回目のそして最後の投稿、何を書こうかなといろいろ考えていたが、アメリカから日本をそして奄美を俯瞰して早21年、奄美の再生「教育の島」「人材&知的財産の島」としての私の夢を最後にご紹介したいと思う。

1991年12月渡米して2年半、久しぶりに奄美に帰郷した時のことである。今は亡き父が当時市役所を定年し、いろいろな市民活動に参加していた頃、私に意見を求めてきたことがあった。「奄美の将来を考えて奄美大島活性化の何か良いアイディアはないか。」と父。「コミュニティカレッジを奄美に作ったら」と即答した私。当時私はアメリカの4年大学に編入したものの、大人数のクラス編制に嫌気がさし、少人数制で実践向きのコミュティカレッジ(2年制)に再編入しなおし、その地域に根ざした教育システムのあり方に感激していた頃だった。日本にはない、その地域主導地域活性型の生涯教育カレッジを日本にもと思ったのは正直な気持ちだった。

さて「コミュニティカレッジ」は その名の通り「地域大学」で、日本でいう短期大学のようなものであるが、 短大以上の大きな役割がある。大まかにいうと3つ。1)一つは日本のように短大卒の「準学士号」をとる事ができるというもの。がその後、4年生大学の3年に編入するケースがほとんどであることから、2)4年大編入のための準備学習の場としての役割が2つ目。もう一つは、3)生涯教育の場としての役割。短大の学位や四年大学への編入を希望するのではなく、自分の学びたいコースをいつでも好きな時にとることができるというもの。人間ある程度年を経ないと、自分の本当に学びたいことに気付かないことが多いが、ここではその生涯学習の夢を叶えることができる。

その後、私の意見を聞いた父がそれを活動グループの中で紹介したのかどうか、知る由もなく、普段あまり会話のない父娘のまま父が逝って4年経つ。が、その会話を父としたことだけは不思議と今でも覚えている。

さて前置きが長くなった。1990年代当時は単なるアイディアとしての提案に過ぎなかった荒唐無稽の私の夢が、米国の大学で仕事をするようになって10年、息子の体験入学として奄美に頻繁に帰郷するようになって7年、それほど荒唐無稽の夢とも思えなくなったのである。直接のきっかけは、昨年2009年奄美での皆既日食プロジェクトとして「アマミーナ」を立ち上げ、「未来を担う子ども達へのメッセージ」として、いくつかのイベントを実施したことに始まる。あたふたと短期間の内に実施したイベントプロジェクトだったが、実行委員会の献身的な活躍と努力で無事成功の内に終了し、その後ということで、なんと2010年夏新たに女性を中心とした「NPOアマミーナ」をスタートさせることになったのである。奄美大島は他に例を見ない自然&文化遺産を元に多くの日本内外の研究者が毎年訪れていることは周知の事実。立ち上げの主旨はこれらの人々そして大学と協力関係を作り、奄美関連の主題を中心に生涯学習としての「学びの場」を作ることである。もちろん私が所属するカリフォルニア州立大学もその協力関係の一つとして構想案に入っており、先に述べたコミュニティカレッジの3つの目的以外に、 奄美と海外を直接結ぶ4つ目の目的がここに生まれることになる。

まだまだ夢の段階である。しかし叶わない夢ではない。2010年夏、私はそのコミュニティカレッジ立ち上げを最終目的として、その前段階ともいえる「夏期集中講座」準備のため帰郷している。カリフォルニア州立大学が中心となり近隣の国立大学(例えば、鹿児島大学や琉球大学)との連携のサテライトキャンパスも将来的に視野にいれている。2011年夏をターゲットに現在各助成金申請と講座の内容の確認、そしてそのための人材&場所確保を探る奄美での暑い夏を迎えることになる。また新たに多くの出会いが期待できる夏になりそうなうれしい予感。子どものころ、何か事を始めるたびに「またお前が仕切ったのか」とよく父に怒られたもの。その父は鬼籍に入った今、草葉の影であいかわらずの私を見て、あきれているだろうかそれとも笑ってみてくれているのだろうか。

Sunday, July 4, 2010

南海日日新聞(5月26日付):ディベートの国アメリカ

以下南海日日新聞5月26日付けの記事(オリジナル版):

メディア&ヴィジュアルリテラシー教育:
「ディベイト(討論)」の国アメリカ、「沈黙は金」の国日本

渡米して日本を外から眺めるようになって、おやそういえばと日米の違いに気付くことがある。その中でも息子の成長とともに学校教育に参加するようになり、日米の教育内容そして授業のアプローチ方法の違いを感じることがある。特にその違いを感じたのが、今回のコラムのタイトルにもある「ディベイトの国アメリカ」であり、それを反映する教育方法である。

米国アメリカでは、学校教育を通して子ども達も社会問題に対して積極的にかかわり、自分自身でその問題を考えるように指導しているのを日常的に感じる。もちろん教師が教科書を元に説明指導するのは日米同じであるが、違いはその後。
その時々のテーマを元に、自分自身で研究調査し、結果を発表、そして討論というように、 社会の問題に対して自分で考える積極参加型のアプローチという点。それを初めて実感したのが、渡米して数年経った1990年代初頭、イリノイ州シャンペーン市の学校(小中一貫校)で美術教師として4年間教鞭をとっていた時のことである。その時大統領選挙の真っ最中、子ども達を二大政党である共和党と民主党の2つのグループにわけ、それぞれの論点をまとめ長所弱点を討論させる授業を行っていた。自分の考えを論理的に説得力のある形で話すためには、異なる意見でも相手の話しをよく聞き、そしてまた理解することが欠かせない。討論の基本である「聞く」と「話す」のプロセスを学ぶという小学校3年生の授業だった。そのテーマが大統領選というところがアメリカ的である。政治の問題は大人の問題と子ども達に介入させないのが日本であるとしたら、早いうちから社会の問題を積極的に考え、参加させるというアメリカの社会的教育方法ともいうべきものに驚き、こういう教育を子どものときから受けた人たちにはとてもかなわないと正直その時思ったものである。 既に15年以上前のことである。

今奄美は普天間基地移設の候補地の一つとして徳之島が候補にあがり、奄美大島は今渦中にあると聞く。この問題について、例えば、中高校の授業の中で、その是非を問う討論が授業として行われることがあるだろうか。 世界は簡単に答えの出せない問題で溢れている。日本の学校教育の中で、これら感情的になりがちな問題を客観的に見つめ、両方の立場から討論討議をうながすような授業を積極的に行うことはあるのだろうか。それができない限り、日本の教育では世界を前に堂々と語れる未来を担う若者はなかなか出てこないのではないだろうか。

情報化社会の現在、メディア(TV、新聞、インターネットなどの情報源)から日々発信される多くの情報の中から、どれが本当に必要で真実の情報なのかを読み取る能力のことをメディアリテラシーといい、特に視覚的イメージを通して真実を認知する能力のことをヴィジュルリテラシーという。(*「リテラシー」の元来の意味は「読み書き(識字)能力」)。社会問題を積極的に考え自分の言葉で語らせるように指導するアメリカの学校教育で今最も重視しているテーマの一つがこれである。

写真はそのヴィジュアルリテラシー教育の一環として美術教育の中で実施した4コマアート展示会。「こどもたちの声:世界は今どうなっているか?」というテーマの元、こどもたちに身近に存在する問題を選び出し、それを「起承転結」の4コマの絵で表現するというもの。2008年にチコ市でスタートしたプロジェクトが、昨年2009年夏奄美大島皆既日食イベントのひとつとして、文化センターでも奄美市近郊の学校にも参加してもらって実施。その後再度 チコ市の小学校6年生に再度参加してもらい展示会を実施。写真(5月5日)はその時のものである。この後、作品はニューヨークへと向かう。