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Saturday, April 17, 2010

2010 米国美術教育学会報告其の二 (4/13-4/18): 「米国の悲劇日本の悲劇」

すご〜い何か物議をかもしだしそうなタイトルをつけてしまったけれど、言いたかったことはひとつ。美術教育の抱える基本的な問題は国を超えていっしょだけれど(つまり日米ともに)、それに対応する方向性が全く逆のような気がつくづくする。

今回ボルチモアのNAEAに参加してそれが特に強く今回は感じた。とちらかがよいというのではなく、実は両方とも問題である。

美術教育の対象テーマが米国の場合(もちろん他諸国もそれに追随している)拡大を続け、美術教育と他の学科との境界がますます希薄になってきている。それは昨今の美術/芸術そのものの定義の変化(拡大解釈)に伴うものであり、美術を米国ではすでに「Fine Art 」から「Visual Art」と呼ぶようになって久しいところからもわかる。つまり視覚的なものなら何でもありで、そこから昨今の美術教育のメインテーマであった「Visual Culture」に行き着くわけだが、それが対象テーマの拡大のみならず、テーマ哲学そのものの拡大にまで行き着いたのが、今回2010年度のテーマ「Social Justice」。これには賛美両論あるだろうな。きっと。

さてさて日本の問題は何か?正直日本の美術教育には所属していないので、あくまでも米国の立ち位置から俯瞰してみた私の個人的感想に過ぎないのだけれど、「美術教育にしかなしとげないもの」という部分に固執しすぎているような気がする。つまり米国の美術教育を「知性の発達に関わる教育」という風においてみたら、日本の美術教育がいまだ「感性の教育」にこだわっている点である。(そうでないと言われるかもしれないが、距離をおいてみてみるとそうとしか見えない。)もちろん理想は素晴らしい。米国の知性の教育である美術教育の最終ゴールもやはり実は感性を育てる教育が理想なのである。ではなぜ、米国はそれを言わないのか、答えは簡単。その感性が高められたかどうかを計る明確な手段/方法がないからである。感性が高まったかどうかを客観的にきちんと証明できることが可能かどうか、それにつきるのである。(見ればわかるでは誰も納得できないのである。)さて、日本はこれからどこへ行こうとしているのか?

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