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Monday, November 29, 2010

キャラクター文化論トーク後の打ち上げパーティに参加して植草さんと「美術教育(教科書)」を熱く語る (11/27/'10)

米沢記念図書館を訪問後、川原さんにくっついて出版記念トークショーに行く事にした。題して「キャラクター文化の現在、そして未来」(暮沢剛己X伊藤剛)明日はいよいよ日本を離れる日。帰国の準備をしなければ、と思いつつ、こういう機会もなかなかないことなので、その後、またくっついて打ち上げの飲み会にも参加してしまった私。そこでちょうど目の前に今回の発売元NTT出版の植草さんが座ってくださって、マンガの話しから、なんと美術教育の教科書の問題点へと話しがはずんだのでした。

美術の教科書はその目的(必要性の理論)が確かにわかりにくい。というより、何のための美術教育なのか、そしてなぜこのカリキュラムなのかの具体的な(そして理論的な)説明が全くないのも確か。他学科と違い、その必要性を説明なしでわかってもらえるものではないから、(美術を学校で習わなくても社会で生きていけるのは確か)、だからこそなんのために学校で美術教育なのかをきちんと説明する必要があるはず。また視覚的に美しい教科書だけでなく、ちゃんとそれぞれのレッスンの説明とプロセスの記載も必須との意見。ごもっともです。掲載されているレッスンを限られた時間の中でこなせるわけではない以上、掲載されているレッスンの方法論をきちんと記載して、授業以外でも自分たちでやりたい時にやれるようにその方法論をきちんと記載する必要があるとは、当然のことだけど、実際の所目からうろこの意見でした。(私が責任もって伝えておきまっせい!)

前々から私が思っていた事を(そして美術教育に属する私にはなかなかはっきり口に出して言えない事を)ばっさり切ってくれました。最近知人からも同じように学校における美術教育の価値等々についても一言言われた事があって、美術教育関係者が思っている以上に、外部の人々が美術教育について真摯に考えているということを知りました。正直ちょっと驚き。日本の美術教育も中で、内輪でいろいろ言っているのではなく、ちゃんと外に声を届ける必要性がありますよね。(あっこれ似たような台詞を日本のマンガ研究に対してもいったような記憶が、、、これって日本的特徴なのかも)

(*写真左に写っている一番手前の左右お二人、左が植草さんで右が川原さん。すみませーん。両方とも顔が半分になってしまいました。植草さんにあっては、半分以下です。笑)

米沢嘉博記念図書館(まんがとサプカルチャー)訪問記 (11/27/'10)

奄美から東京へ明日はいよいよアメリカへという日程の中、ヤマダさんと川原さんに「米沢嘉博記念図書館」で会ってもらうことにした。前々から行きたいと思っていながらなかなかチャンスを作れずのびのびになっていたので、今日はちょっとうれしい。

米沢さんと言えば、私も数度お会いした事がある。最初は2000年の夏。ブレントウィルソンとマンガ環境調査と称し二人で日本で取材をしていた時、夏のコミケで米沢さんに取材をさせていただいた。そしてその翌年私はサンフランシスコの「ヤオイコン(Yaoi-con:Yaoi Conference)」を覗きにいった時、日本からいらしていた米沢さんに偶然お会いし、再度取材をさせてもらった。コミケどころかマンガに対してもほとんどどしろうとに近かった無知な私(達)の質問にも、丁寧に回答していただいた。ただもう感謝の一言。急な訃報の知らせをここアメリカの地で耳にした時には驚いた。このような形で米沢さんの功績が残る事はとてもうれしい。

さて1階はその米沢さんのコレクションからの抜粋的な展示になっていて、キャーこんなものも集めてらしたの、、、と目が点になるような、いやもとい、うれしくなるような収集で一杯。コミケのカタログの背表紙をつなげると一つのストーリ的絵柄になるのも感激。こういう遊び心好きだなあ(^_^)。

2階は閲覧室。3〜5階が閉架式書庫。多くの収集本(週刊、月刊、単行本等)であふれている。懐かしい本も一杯。ヤマダさんが手にしているビニール本の表紙は外人の女の子。私がちょうど小学校の子どもだった頃の少女マンガ雑誌の表紙はそう言えば皆こんな感じで、外人金髪碧眼(古ーい)の女の子ばかりだった。あの頃のあこがれは外人だったのよね。それが21世紀の今、アメリカのティーンのファッション雑誌の表紙がアジア系の黒髪の女の子で飾られるようになるなんて、あの頃は想像だにしなかったもの。それどころかアメリカのマーケットは日本のポップで今は溢れ返っているもの。いやー時代は変わるもんですな〜。おー西谷祥子先生の表紙のセブンティーンが。この表紙にあこがれて、当時15だった私はセブンティーンを買い始めた。その頃掲載されていた作品群よりなぜか今でもこの表紙の方が記憶にずっと深く刻み込まれています。この目のきらきら、スパークリングアイにホールインラブだったんですね。(当時父に17になってから読むものだとしかられたけど、17になった私はとうにその本から卒業していましたね。)

そう言えば学年誌がない。あの頃親と折り合いをつけて買ってもらえたのが、小学校うん年生という月刊誌だけだった。自分のお小遣いでは本当に欲しい少女マンガ雑誌を、だったけど、今となっては学年誌もとっても懐かしい。どうも私がアメリカに行っているうちに消えてしまったのか。子どもが自由にマンガを買えるようになった今、学年誌の役割も終わったということでしょうか。

1時間足らずの訪問でしたが、ヤマダさんと川原さんのおかげで、雑談しながら自分の時代をマンガとともに振り返ることができてとても楽しいひと時でした。当たり前だけど、私たち三人の年代が違うので(それと育った土地が違うので)三人三様のマンガ時代の特徴を振り返る事ができました。感謝。

ひとつ最後にお願いです。できたら記念図書館で、日本で出版されているマンガ関係本(雑誌や単行本:エッセイのような軽いものから研究本と言われるものまで)も収集して欲しいです。それと前々から思っている事ですが、マンガ学会あたりでも(実際にはどこでもよいのですが)、研究発表の中からいくつか選んで英語翻訳して出版してもらいたいです。たかが英語されど英語。こんなに日本でマンガ関係の雑誌、本、研究が出版されているのに、英語でないのが理由で日の目をみることがないなんて、ほんともったいない。

Saturday, November 20, 2010

桃太郎の国にてトーク&討論会11月20日(その一):Talks at Momotarou (Peach Boy)'s country

前嶋先生のお誘いを受けて、岡山にて講演会を2つ程させていただいた。紅葉の季節の岡山訪問、備中&備前、桃太郎の国である。すべてを終えて、今出立前、ホテルの中で、昨日までの楽しかった二日間を反芻しながら、書き始めている。これからまた故郷奄美へ向かわなければいけないので、詳細については、また後ほど。数日内には更新したいと思います。。。。。乞うご期待 (^_^)!

上記のメッセージをここに挙げてから、、、すぐに更新と言っておきながら、やっと一月ぶりの今日(12/19)再開。ちょっと反省。気を取り直して、さて続きを。

この日は実は午前と午後の2つの小講演を入れていただきました。ひとつは、吉備国際大学短期大学部 キャリア支援討論会(FD・SD研修会)、題して「国際的視点によるキャリア構築と学生支援」(文部科学省 学生支援推進プログラム補助事業)。トークの内容は「内容: 米国から見た日本の大学の教育システムの長所短所を考え、学生へのキャリア支援について量的な統計データを用いた研究の必要性などを討論を通して検討する。」というもの。しかし実際の発表内容は、題も「日米の教育&教員養成プログラムの比較において」に変え、1、カリフォルニア州立大学システム(23校)について、2、ナショナル vs。カリフォルニア州スタンダード、3、カリフォルニア州における美術教育プログラム、4、米国での査定システム、5、質的&量的方法論、の5つの内容で話しをさせていただいた。

ざっと見ただけで、短い時間の中で、かなり広範囲に渡っているので、ひとつひとつがかなり表面をなぞった内容になってしまったのは否めない。しかし学長を始め参加してくださった方々が、途中席をたつこともなく、ずっときちんと聞いてくださっていたのにとても感激した。また多岐にわたる質問がよせられ、逆に質問によって自分自身改めて考えさせられるものも多かった。

例えば「日米のコミュニケーションの取り方の質的違い」。コミュニケーションクラスという必須科目が米国の大学にはあり、人前でどのように発表し、聞くのかを学ぶことになっている。また小学校のときから当たり前のように、プロジェクトの最後は必ず発表&批評で締めくくる事に慣れている米国の子ども達と、日本の子ども達とは比較のしようがないのは当然。それにかかわらず日本人には日本人のコミュニケーションの取り方があるのではないかとのご意見にはうなづくことが多かった。また当初の講演依頼内容に関連する「米国ではキャリア支援について具体的なプログラムが存在するのか否か」については、日本において各大学でキャリア支援のあつさが学生獲得のうたい文句にもつながるように、各大学が力を入れていることの一つだと思う。

考えてみると、米国では学科を超えて取り組む「キャリア支援的プログラム」は存在しないのではないかと思う。というより、特に教育関係のクラスを見て見ても、それぞれのコースがキャリアにつながるように組んでいるという自負があるのがひとつ(つまり理論と実践の連携)、そしてそれ以上にキャリア(仕事探し)は個人の役割であるという発想が根強いせいかと思う。それに日本と違い、皆同じように入学、卒業、そして就職という流れはアメリカにはないのが大きい。つまり就職シーズンという時期がそもそも存在しないので、公募を個人でチェック(もちろん私たちも流すようにはしているが)して、各自で対応というのが普通。これまた改めて日米の大きな違いを再認識。(ちなみに大学教員公募は時期が実はあります。10月前後に一斉に公募が各専門誌に掲載されたり、各大学に到着した公募の手紙が張り出されます。それを見て、個人で必要書類とともに申し込む。最終候補、だいたい三人に選ばれた場合、その学校に呼ばれ面接そして試験的講義を実施するという流れで、最終者が決まるという流れです。余談ですが、、、)

(*写真はなんだなんだと思われるかと思いますが、2つの講演の間にいただいたランチ。お弁当の牛肉のたたきがとろけるようにおいしかった。本当にほんととろけた。そして葡萄のピオーネ(巨峰とマスカットの掛け合わせで種無し葡萄)がここにも。やっぱりおいしかった。すごーく感激してしまったので、写真を載せる事にしました ^_^!)

Saturday, November 6, 2010

2010 Art494 Group teaching 2 (11/4):美術教育学生のグループティーチング


再び美術教育専門の学生達のグループティーチングプロジェクトの報告第二弾。今回は大講堂で、版画のPPT(パワーポイント)レクチャーとその後の実技ワークショップ。前回のワークショップ以上に準備と段取りが大変だったはず。それぞれの机で版画を刻んだプレートを持って、インクを刷る作業とそれをプリントする行程に進むことになっていたのだけれど、その二工程を同じワークショップのテーブルでやるようにセッティングしていたため、長ーい列が出来てしまう事に。二作品を作ることになっていたので、一作品を刷り終え、また列の後ろに並ぶという流れて、100名余の学生数では、列はますます長く、最初と最後では20〜30分の時間差ができることに、、、結果オーライで作品は結構良いものができましたが、少し反省材料ができてしまいましたね。通常の少人数と大人数の場合、それも今回のような設備のない講堂でやる場合、等々いろいろ良い勉強になったことでしょう。最後はクラスの学生達の作品を私のオフィスの回りの壁に美術教育の学生達が皆で展示。これが結構良く見えました。これで終わりではなく、次の美術教育のクラスで反省会。そしてこれらの作品の成績付けまで学生達で済ませて、プロジェクトは終了。ご苦労様(^_^)。