米沢記念図書館を訪問後、川原さんにくっついて出版記念トークショーに行く事にした。題して「キャラクター文化の現在、そして未来」(暮沢剛己X伊藤剛)明日はいよいよ日本を離れる日。帰国の準備をしなければ、と思いつつ、こういう機会もなかなかないことなので、その後、またくっついて打ち上げの飲み会にも参加してしまった私。そこでちょうど目の前に今回の発売元NTT出版の植草さんが座ってくださって、マンガの話しから、なんと美術教育の教科書の問題点へと話しがはずんだのでした。
美術の教科書はその目的(必要性の理論)が確かにわかりにくい。というより、何のための美術教育なのか、そしてなぜこのカリキュラムなのかの具体的な(そして理論的な)説明が全くないのも確か。他学科と違い、その必要性を説明なしでわかってもらえるものではないから、(美術を学校で習わなくても社会で生きていけるのは確か)、だからこそなんのために学校で美術教育なのかをきちんと説明する必要があるはず。また視覚的に美しい教科書だけでなく、ちゃんとそれぞれのレッスンの説明とプロセスの記載も必須との意見。ごもっともです。掲載されているレッスンを限られた時間の中でこなせるわけではない以上、掲載されているレッスンの方法論をきちんと記載して、授業以外でも自分たちでやりたい時にやれるようにその方法論をきちんと記載する必要があるとは、当然のことだけど、実際の所目からうろこの意見でした。(私が責任もって伝えておきまっせい!)
前々から私が思っていた事を(そして美術教育に属する私にはなかなかはっきり口に出して言えない事を)ばっさり切ってくれました。最近知人からも同じように学校における美術教育の価値等々についても一言言われた事があって、美術教育関係者が思っている以上に、外部の人々が美術教育について真摯に考えているということを知りました。正直ちょっと驚き。日本の美術教育も中で、内輪でいろいろ言っているのではなく、ちゃんと外に声を届ける必要性がありますよね。(あっこれ似たような台詞を日本のマンガ研究に対してもいったような記憶が、、、これって日本的特徴なのかも)
(*写真左に写っている一番手前の左右お二人、左が植草さんで右が川原さん。すみませーん。両方とも顔が半分になってしまいました。植草さんにあっては、半分以下です。笑)
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