博士論文の内容構成はその専門領域によって異なるのは当然だと思う。私がもと所属していた分野、農業化学専攻の友人に言わせると結果がすべてで、プロセスがどんなに素晴らしくても結果がともなわないと何の意味もなさないそうで、そういう理屈で、卒論も素晴らしい研究結果を持つ物であれば、結果だけの証明、極端によると「結果を示す公式だけでもいいんだよね。」と豪語していたものである。さすがに教育関連ではそういうことはなく、教育を含む人文関係の研究は結果より、むしろ結果に至る(結果を導く)までのプロセスの方がむしろ重要であるらしい。研究プロセスつまり結果を導き出す方法の妥当性を問われる。つまりどんなに素晴らしい結論、そして解釈をしようと、それに伴う方法論が妥当でない場合、それによって導き出された結論は、当然信憑性を失うことになる。
私の場合でも、最後の関門、ディフェンス(Defense:学位審査の試問)で、卒論審査委員会の教授陣につっこまれたのもそこである。どうして君はたくさんある方法論の中であえてその方法論を選択したのか?その方法論は君の研究テーマにとって最も妥当なものなのかどうか?等々、、、約1時間程論文の最終発表をした後、待ってましたかのように、つっこんだ質問があちこちから、どうにか息もたえだえに回答していた私に出された最後の質問がこれだった。「Is this methodology really relevant?(この方法は本当に妥当なの?)」「What made you say that? (どうしてそういいきれるのか?)」
下記 APA (America Psychology Association)様式と言われる、論文書式に沿った卒論の内容です。(論文書式で3つが著名で、英語学など一般的な書式は MLA (Modern Language Association), 美術史などの Chicago Style、そしてこのAPA (エーピーエーと発音)style。これは統計等の数字データーを使用する研究論文に使用される書式で、教育学、心理学等もこれを使う。もちろん美術教育もこの書式を使うことを義務づけている。(ほとんど大学でこの書式は必須で指導している。)
これは出版前の、オリジナル原稿ですので、関連図(figures)、グラフ(Graph)、テーブル(Table)は挿入箇所を指定しているのみで、それらは別途、論文の最後にまとまめて付記してあります。が、ここではリンクしていません。完全版論文の出版物は大学のイリノイ大学大学院図書館に収められています。
(*参考にされる場合はご面倒でもご一報いただければうれしいです ^_^ < mtoku@csuchico.edu >)
論文を書いていた頃、先輩に言われたものです。「卒論のそれぞれの章を発展させて、また論文を書くのが卒業後の責任なんだって、、、」「えっ、ということは6つの全く異なる論文ですか?」
先輩すみません。あれから10年経ちましたが、論文の数だけはこなしましたが、内容はまだ6つの異なる研究とはとても言えないレベルです(というかこの忙しさの中、そんな多様な研究はほとんど不可能な気がします >_<,,,)。そういった先輩ご自身は本当にできたのでしょうか?
論文を書いていた頃は苦しかったけれど、同時に今思い起こせば、一番楽しかった時かもしれません。自分のことだけを考えて自分の研究論文に集中できましたもの。あの頃が無償に懐かしい今日この頃です。
No comments:
Post a Comment