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Sunday, February 22, 2009

全造アートMLへの投稿文(2/16/09):「対話型鑑賞教育」と「VTS」の関連 その2

下記の文は川島先生へ返答の形で投稿した返答文です。

川島先生 皆様 (2/16/09)

いえいえ、よく私のブログからVTSの原稿を見つけ出されたなあと、むしろ感嘆の驚きです。ブログですので一般にオープンです。どうかご心配なく。(まだ更新途中ですので、見るたびに違うという事になるかもしれませんが ^_^)

先生の新たに見つけられたVTSのサイトですが、ざっと見た限り、これは東海岸のVTS普及グループの宣伝用情報かと思います。ヤノワインがはじめたVTSですが、米国各地(中西部から東部が中心)で啓蒙活動をされて、各地にそれぞれ中心になる学校(先生)がいらっしゃるようですね。このサイトに限って言えば、K−5thG(つまり幼稚園から5年生)まで、VTSを推進した結果、リテラシー教育にどのようにプラスの効果があったかをデータで示しています。VTSを使わないグループと、使った場合の2グループで、読み書き能力全国テストの結果でどちらが高い成績を収めたかと、VTSの効果を唱っています。

さて、これは鑑賞教育です。懸命なZenzo-artの皆さんは、ここで、鑑賞教育の意味あいが、米国(たぶん西洋全般?)と日本とかなり違うことに気付かれるのではないでしょうか。日本の場合(私が思うに)全てではないでしょうが、「鑑賞教育=感性教育」に少なくとも今までは、重きを置いていたのではないでしょうか。米国の場合、「鑑賞教育=リテラシー教育」、そして最後に「感性を高める方向に持って行ければ恩の時」という感じで、段階的に鑑賞教育のゴールを設定しています。

それでは、なぜ「鑑賞教育」が「感性教育」に直結しないのか?日本と米国社会の違いがあります。日本と異なり、多民族の米国では「感性」はそれぞれの所属する文化によって、異なって育まれるという前提があります。感性の発達は各自の美的経験(Aesthetic Experience)によって異なると、理論的に表現しますが、、、つまり各自の美的経験はそれぞれの属する文化や社会によって異なるのだから、多民族国家の米国では共通の感性を高める教育は理論的に無理であるということにつながりますね。

そしてなおかつ、ここが大切ですが、感性が高まったかどうかをどうやって客観的に計るのかということです。日本では経験でわかるとおっしゃるかもしれませんが、それは米国では通じないのですね。多民族を超えた共通の言語で明確に証明しなければいけません。先のVTSが、統計的に読み書き能力テストを使って、その効果を証明したようにです。

さて、対話型鑑賞教育のもどりますね。VTC (もしくはVTS)を日本で「対話型」と訳されていますが、そもそも米国では「対話型」が主流で、対話形式の方法論はVTC やVTSに限らず、数多く存在します。問題はその対話の方法論で、そこにVTSや VTCの価値があるのではないかと思います。(そういう意味でこのVTCをイコール「対話型」とするには、私はちょっとひっかかったのですね。でも他意はありませんので、失礼をどうかお許しください。その国の文化を見ながら翻訳していかなければいけないのは、よくわかりますので、日本ではその方が通りが良いという事でしょう、、^_^)

そこで、問題になるのが、では米国での通常の「対話型」というのはどういう方法論(内容)だったのかというところでしょう。ご存知(?)のように、米国ではNational Curriculumは存在せず、各州、もしくは各地域によって、教育の中身も異なってきます。が、不思議と、美術教育の中身を見る限り、日本以上に、理論的に統一された方法論で勧められていて、その中心になるのがやはり1980年代に全米に普及した学力に直結する美術教育=DBAE 理論(Discipline based art Education: Art-making, Art history, Criticism, and Aestheticsの4つの理念を常に考慮してカリキュラムを作成)です。その理念のひとつ「Criticism(直訳すると「批評」ですが、日本語的には「分析」とした方が通りがよいかもしれません)」のところで、活躍するのが「Elements of Art 」と「Principle of Design」というアートの基礎構成要素の概念であり、それでアートを分析する方法です。このアート言語を使ってアートを鑑賞/批評するという方法が、学校の中ではやはり(今でも)主流を占めているのですね。(もちろん私も使っています。)

それに異を唱えたのが、ヤノワインだったのです。そんな誰も本当は気にもしないような(大人が使う)アート言語で鑑賞するのではなく、もっと素直に何が見えるかを子ども達に問いかけることで 「What do you see in this picture?」、アートを鑑賞しようではないか。そしてそれに対してなぜそう見えるのか「Why do you see it?」を聞くのはやめよう。その答えは「I don’t know ...」にしかつながらない。そこで、会話は終わってしまうだろう。そのかわり「What made you say that?(何でそう見えたの)」と話しを続けて、子ども達の発見する喜び、そしてそれを言葉で表現することにより、コミュニケーション能力を高めていこうではないか、、、、とまあ、こんな感じですね。(*その彼の方法論の理論的バックになるのがアビゲルハウセンの美学理論の5つの段階説になります。)

等々、、、書き出すときりがないので、駄文はこのへんでやめにしときます。今後ブログでもこういった米国の(現場の)教育状況を少しづつお知らせしていきたいと思います。今回はこのようにMLで長々と書いてしまいましたこと、どうかお許しくださいね。

最後に、日本の美術教育を俯瞰していて、やはり外からいろんな方法論を持って来た時に、理論的説明というか、その国でなぜそのようなプロジェクトが生まれたのかの根本的なことがすっぽり抜けて、方法論だけが現場で流布しがちな気がします(私の感じですので、一つ一つについては本来はそうでないと思いますが、あくまでも米国と比較しての全体的印象ですので、間違っていたらごめんなさい。)

これもなぜかなああとつらつら考えるに、日本は単一民族(本当はそうでないですが)なので、そういった理論をぐちぐち言わなくても、言葉に出さなくても、みんなわかるはずという(無意識の)共通概念が存在するのではないかと思います。米国ではやはりそういうわけにはいかないので、やはり言葉で理論づける必要があるのですね。それは教科書にもよく現れているかと思います。

うっこれまた話しがながーくなりそうなので(米国の美術教育そのものの内容までさかのぼらなければいけなくなるので)、このへんでお開きに。

今後こういった長文で皆さんのご迷惑をおかけしないようにいたしますね。長文大変失礼いたしました (>_<,,,)。 カリフォルニア州立大学23キャンパス全体(約50万の学生がいます)で100ミリオン(約100億)の経費削減がありました。今年はさらにその上5%の削減です。州立とはいえ、大学運営も楽ではありません。大学全体の空気が重く、いつまでこの状態が続くのかと今後のことを考えると少し憂鬱です。それでも私たちは生きていかなければいけませんし、こどもたちの未来のために美術教育の存続をかけてがんばらなければ行けないのだと思う今日この頃です。 それではそれでは。 徳 雅美 拝 


From: Makio Kawashima
Date: Mon, 16 Feb 2009 21:23:18 +0900
Subject: [zenzo-art] 「対話型鑑賞教育」と「VTS」の関連

徳先生

いつもご指導、ご返事をありがとうございます。
私自身も、VTSを知りたくて検索していたとき、偶然に徳先生のブログを拝見しました。

皆様へご紹介前に、まず先生にご連絡をさしあげればよかったですね、お許し下さい。


これも、VTSの一部ですが、語学の壁であまり理解できませんでした。
http://www.vtshome.org/system/resources/0000/0057/VTS_Brochure_06_08.pdf

徳先生のブログやメールでの解説は、とても学識的で、わかりやすく感じました。
このMLの方も、徳先生のグローバルで多面的な情報に感謝していると思います。
今後とも、よろしくお願いします。

川島真紀雄
http://www.edogawaku.ed.jp/shinozakis/Appreciation.html

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