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Wednesday, October 20, 2010

Continued: 教育美術連載 (2010年11月号): 子どもの描画に表れるグローバル化の波?:マンガ vs. アメリカンコミック

以下は実は教育美術(11月号)に書く予定で、最初に書き始めた原稿部分。予定語数をかなり超えそうになってしまったのと、内容がちょっと刺激的だったので、もっと柔らかい表現に変え短めにまとめて原稿を提出。でもせっかくなので、その部分をここにご紹介。ちょうど提出原稿の半分前半部分にあたりますね。表現がストレートすぎて失礼になるかとちょっと心配ですが、日米の美術教育現場に触れての正直な感想です。失礼な部分はご容赦くださいね。

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知った気になって以外と知らなかった事や、その変化に気付かずに昔の知識や体験で思い込んでいたということがままある。私にとって、日本の「美術教育」というのが、まさにそれ。渡米して20数年。私にとっての美術教育は、子ども時代を過ごした故郷奄美での図画工作であり美術教育。当然といえば当然なのだけど、私の中の「美術教育」はうん十年前、小中学校時代(毎週2時間)の生徒として学んだ美術の時間で時計がとまっていた。昨今ちまたでいろいろ日本の美術教育の現状を嘆く声を聞くようになったが、それでも義務教育の必須科目から姿を消して久しい米国の美術教育の現状よりは、日本の方がずっとまし、なぜ皆そう悲観するのか不思議にそしてぜいたくにさえ思っていた。

それがである。息子を日本で体験入学させるようになって6年、日本の美術教育の現場は、実は米国以上にひどいのかもしれないと思い始めるようになった。その理由はいくつかあるが、州毎地域毎に地域の実態毎に異なる教育を展開する米国と異なり、日本ではナショナルカリキュラムの理念の元、地域や教師の質に偏らない質の高い(?)美術教育を行っているはずであった。これが違った。むしろ共通の教科書の存在しない米国の方が理念が浸透し、それに基づいたカリキュラムが実施されているという事実である。また米国の小学校ですでに美術は必須ではなくなっている。その認識から米国の美術教育の実態を悲観する声につながっている。しかし2週間に一度専任の美術教師が指導する授業は午前中一杯(2−3時間)の集中授業。米国の小学校では担任が夫々の学科の中で美術的な要素を取り入れて授業を展開するのが一般的だが、それと別に美術専任教師が指導する美術の授業と住み分けているところが興味深い。また米国の場合(これは6月号でも簡単に触れたが)、中高で美術は選択である。が、その選択の在り方が日本での選択の在り方の週一度の授業ではなく、毎日選択の授業があるのである。この他、知っているようで知らなかった美術教育の実態が日米の比較においていろいろあるが、それはまた次の機会を待ちたい。

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