8月31日に偶然耳にしたオバマ大統領のイラク戦争終結宣言を聞いて、元々書こうと思っていた内容を急遽変える事にした。それが以下の原稿内容。(ただし、下書きの方です。最終版は近々出版の「教育美術10月号」を見ていただけれると、参考の描画とともによりわかりやすいかと思います。どうかよろしくお願いします。)今日は9月11日。あれから丸9年。2001年あの日のことは真っ青な空とともに今でも昨日の事のように思い出す。
この日のことはもうひとつのブログ "TokuToku Journey" の「9年目の9月11日」の中にも書いています。
図1:図録2頁左上「9月11日その後の世界」米国大学生作品
図2:図録26頁上段左「7年間の破滅(失われた時)」米国高校生作品
図3:図録9頁下段中央「名も亡き兵士」米国高校生作品
図4:図録16頁上段中央「核廃絶」日本中学校生徒作品
4コマアート巡回展示会作品紹介(10月号):戦争を知らない子ども達からのメッセージ
August 29, 2010
残暑の残る夕暮れ、ぼーっと日本のニュース(衛星放送)を見ていたら、オバマ大統領の演説が流れて来た。何かと原稿を書く手を休めて、聞き耳をたててみると、イラク戦争の終結宣言。思い起こせば、湾岸戦争が始まったのが1991年1月のこと。そこから数えるとほぼ20年にもなる。「世界の警察」を自称する巨大な軍隊を持つアメリカでは、戦争は常に身近な話題でもある。総兵力は約260万。その内正規の職業軍人が140万、残り120万が大学や企業に通いながら、定期訓練を受け、有事に呼び出しを受ける待機組。また経済的な理由から高校卒業とともに軍隊に入り、その見返りとして大学に通っている学生も結構な数に上る。実は私の一般教養クラス(芸術鑑賞学)にも数人いることを知ったのは、2001年の同時多発テロ事件の直後のこと。それまでは、そんな学生が自分のクラスにいることさえ知らずにいた。9月11日当日、ハイジャックされた飛行機が爆弾を積んで西海岸の大都市へ向かっているというゴシップが流れ、カリフォルニア州では大学を始め全ての公立学校は閉鎖となり自宅待機の状態。その数日後私の元にいくつかのメールが届いた。生徒の名前と戦地へ赴くためクラスからの正式な削除願いである。その中には直接本人から「また機会があったらクラスに戻りたい。」と書いてあるのもあった。胸がつまった。あれから10年。その後彼ら彼女等が大学に戻って来たかどうか私はまだ知らずにいる。そういう環境の中、戦争をテーマにした作品がアメリカの子ども達からも少なからず寄せられた。今回はその中4点紹介してみたい。「9月11日のその後(図1)」、これはこの4コマアート(公募B)を大学の美術教育の授業の中に入れるようになった最初の年2002年度作品。最も印象的な作品の一つ。ピカソの「ゲルニカ」を元に、9/11の際、実際に惨劇に巻き込まれたのは市民であることを訴えている。実はこの作品には裏話がある。作者のフィアンセ(軍人)が事件を受け当時イラクへ行ってしまっていたのである。自分の大切な人を戦争へ送り出さなければいけなかった彼女自身の気持ちから出来た作品。図2は同テーマ作品。中心となった著名作品はゴヤの「5月13日の死刑執行」。作品自体のタイトルは「7年間の破滅(失われた時)」とある2008年度作品。7年後の当時もまだイラクは戦争状態であることを示唆している。次の2点は「公募A作品。「名も亡き兵士(図3)」はフロリダの高校生作品。戦地へ赴く十代と思われる兵士が華やかに送られている。やはり大学奨学金支給をえさにリクルートされたのだろうか。そのシーンと重なるように兵士の最後の姿である墓とそこに刻まれた「Unknown<(無名)」という言葉。アメリカの現状を物語っている。最後は日本から中学生の作品「核廃絶(図4)」。原爆を実際にそれも2回も落とされた唯一無二の国、日本からのメッセージである。
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